大判例

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横浜地方裁判所横須賀支部 平成5年(タ)15号 判決 1993年12月21日

原告

小菅実

右訴訟代理人弁護士

高橋孝和

禁治産者

小菅春子

被告

右禁治産者後見監督人

大澤つた子

主文

一  原告と禁治産者を離婚する。

二  原告と禁治産者間の長男友也(昭和五二年一〇月一一日生まれ)、次男淳(昭和五四年六月二日生まれ)の親権者をいずれも原告と定める。

三  原告は、禁治産者に対し、金三〇〇万円を支払え。

四  原告は、禁治産者に対し、本判決確定日の翌日から禁治産者が死亡する日まで、右確定した日の月については一か月金五万円の割合による金員(日割計算)を当月末日までに、その後は一か月金五万円を毎月末日限り翌月分を支払う方法により支払え。

五  訴訟費用は被告の負担とする。

事実および理由

第一請求

主文第一ないし第三項と同旨および「原告は、被告に対し、本判決の確定した日から被告の生存中一か月金五万円の割合による金員を支払え。」

第二事案の概要

本件は、夫である原告が、婚姻して二児を儲けた後に、脳腫瘍により心身喪失の常況におちいり禁治産宣告を受けた妻との婚姻が破綻したので、その実母である後見監督人を被告として、婚姻を継続し難い重大な事由があるとして、離婚とこれにともなう親権者の指定および禁治産者への離婚後扶養の意味の財産分与の裁判を求めるという事案である。

一客観的な事実

1  原告(昭和二三年四月一九日生まれ)と禁治産者小菅春子(昭和二八年一二月一日生まれ。以下、「春子」という。)は、昭和五一年二月一〇日、婚姻し、その間には長男友也(昭和五二年一〇月一一日生まれ)、次男淳(昭和五四年六月二日生まれ)を儲けた(<書証番号略>)。

2  春子は、昭和五六年ころ、発病し、治療を受けるなどしたが、平成三年五月ころから意識的な反応を何もしめさなくなった(<書証番号略>)。

3  春子は、岐阜家庭裁判所多治見支部から、平成五年二月五日、禁治産宣告の審判を受けた(<書証番号略>)。同家庭裁判所は、後見人原告がした後見監督人選任の申立てについて、同年四月二七日、春子の実母である大澤つた子を後見監督人に選任する旨の審判をした(<書証番号略>)。

二争点

1  離婚原因の有無

心身喪失の常況にあり、治癒の見込みのない禁治産宣告を受けた妻・春子と健康な夫・原告との婚姻関係が破綻したといえるか。

右は民法七七〇条一項五号の「その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」に該当するのか。

(被告後見監督人の主張)

春子は、健康な女性であったが、病魔におかされ長い闘病生活のすえ変わり果てた。被告後見監督人大澤つた子(以下、「被告」という。)としては、離婚も止むないことと思うが、それが春子本人の本意かどうかは窺いしれない状態であるので、裁判所の判断を求めるものである。

2  離婚後扶養の意味における財産分与の額と方法

財産分与の義務者である夫・原告から離婚請求にともない妻・春子に対する離婚後扶養の意味の財産分与の申立てをすることは許されるか。

許容されるとした場合、財産分与の額と方法はいかなるものであるべきか。

(原告と被告の主張)

原告と被告は、春子への財産分与として、一時金三〇〇万円、終生にわたる月五万円の定期金給付をすることに合意している。

第三争点に対する判断

一離婚原因の有無

<書証番号略>、原告および被告の各本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  春子は、昭和五五年末ころから、原因は不明であるが、頭痛、立ち眩み、転びやすくなり、同五六年、国立名古屋病院でCT検査を受けた結果、脳腫瘍と診断された。春子は、昭和五九年、横浜栄共済病院に入院して脳腫瘍摘出手術を受けたが、健忘症状、右上下肢不全麻痺、歩行障害が現れ、同年六月退院し、同六三年まで通院治療をし、この間、脳腫瘍の再発を見た。

その頃から、春子は神経症状が顕著となり、聴力障害も認められ、自立した生活が困難となった。そこで、春子は、小牧市の両親のもとで療養生活を送り始め、平成二年、小牧市民病院に入院して手術を受けたが、症状の改善はなく、同年二月、聴力障害により第三級障害の認定を、翌年一月には第一級障害認定をそれぞれ受けた。

春子は、平成二年九月以降、各務原市、岐阜市の各病院で治療を受けたが、植物状態であったため、同三年五月、瑞浪市の身体障害者療養施設、岐阜県立サニーヒルズみずなみに入所し、現在に至る。この間、春子は肺病なども併発し、一時は危篤状態となったこともあるが、現在は一応安定した状態にある。

春子は現在、大脳活動の消失による失外套症候群と診断されている(失外套症候群とは、大脳皮質の機能的・解剖的損傷および大脳皮質と脳幹の連絡が機能的・解剖的に遮断された場合の臨床像をあらわし、植物状態とほぼ同一の状態をいう。)。春子は、生存中、心身喪失の常況にあり、回復の可能性はない。

2  原告は、公務員として勤務するものであるが、春子と婚姻した後、平和な家庭生活を送っていた。しかし、原告は、昭和五五年に発病して以来、春子に対して各種治療をこころみ、看護、見舞いなどできる限りのことをしてきたが、前示したように春子の回復の見込みはなく、平成二年後半ころからは、春子との婚姻関係を維持することに疑問を持ち始めた。

原告は、発病以来、春子の実家から妻の治療費を立替て支払ってもらっていたが、後に全部これを返済した。平成三年一月以降、第一級障害認定を受けた後は、医療費はほぼ全額免除となり、障害年金を受けている。原告は、その後も、妻の実家に対して平均すると毎月五万円以上の仕送りを続けていた。

3  原告は、現在、二人の子供たちを監護しているが、これからも親権者として養育につとめると述べる。原告と春子間の子供たちは、現在一六歳と一四歳であるが、長年にわたり、母親が病気療養のために不在勝ちであったため、離婚も止むないことと受け止めている。

4  原告は、平成三年、妻の母である被告と離婚の話をするようになった。被告は、「離婚後のことも考えていて欲しい。」と答えた。それ以後、双方で、離婚後のことも折衝しながら、理解をふかめてきた。

原告は、平成四年に入り、離婚手続をするために、前記した禁治産宣告申立事件を申し立て、翌五年、後見監督人選任申立事件を提起し、同年五月二四日、本訴を当裁判所に提起した。

5  原告と春子との間では、春子の離婚後の療養に対する援助について、原告が春子に対し、一時金として三〇〇万円を給付するほか、生存中毎月五万円の定期金の給付をすることで合意している。被告(満六三歳)は、平成二年に夫を失ったが、今後は自分が娘を看護するつもりであると述べる。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

以上の認定事実によれば、以下のとおり認められる。

春子は、失外套症候群のため植物状態にあり、回復の見込みはない。原告は、長年、春子のために治療や見舞いなどに誠意を尽くし、治療費の清算も終えて妻側に不利となる問題はなく、将来の治療費の負担についても社会保障制度により相当程度の見込みを確保している。春子が植物的な状態となってから約四年間を経過したことなど婚姻関係の実体を取り戻す見込みはなく、春子の離婚後の生活、療養看護については後見監督人である被告との間で合意に至り、被告を苛酷な状態に置かない配慮をしめしている。また、子供たちの養育などについて年齢、意向などの諸点から見ても不都合なところはなく、春子のみに特段の不利益を課するといった事情もない。

してみれば、原告と春子の婚姻関係は破綻したものというべく、その原因は民法七七〇条一項五号(同項四号の趣旨をも斟酌して)に該当すると解されるから、原告の本訴離婚請求は理由がある。また、子の福祉の観点から親権者を原告と指定することが相当である。

二財産分与について

原告は、人事訴訟手続法一五条一項に基づき離婚請求にともない義務者からの財産分与の申立て(家事審判法九条一項乙類五号、民法七六八条)をする。

本件においては、春子は心身喪失の常況にある植物状態の女性であって、禁治産宣告を受けたものであり、原告はその後見人である(民法八四〇条)。したがって、原告は、離婚原因との関係では無責な禁治産者である妻春子との離婚を求める際、協議離婚はもとより調停離婚の道はなく、後見監督人を、妻の法定代理人としてではなく、被告として、本訴離婚訴訟を提起した(人事訴訟手続法四条。最判昭和三三年七月二五日民集一二巻一二号一八二三頁)。原告は、その際、離婚後扶養の意味の財産分与を申し立てて離婚等の裁判とともに裁判所の判断を求めるというものである。

そこで、検討するに、① 財産分与の権利者ではなく、義務者が財産分与の申立てをすることは、原則として認められない(配偶者が被告であれば、財産分与の権利者は離婚を争う場合でも、仮定的予備的財産分与を申し立てられる。)が、禁治産者妻の後見監督人が被告となる本件のような離婚訴訟においては仮定的予備的財産分与申立てをさせたうえで裁判することには手続上の疑義が残る。② たしかに離婚訴訟事件で付随的に裁判することができる財産分与については、家庭裁判所のような職権探知を実現する制度的な手当てはないけれども、地方裁判所は、対立的当事者構造のもとでの事案の解明作用を果たす人事訴訟手続の原則が、家事審判手続で職権探知主義が実現するところにほぼ代替しうる領域にかぎり、人事訴訟手続内で家事審判事項を判断することができる(人事訴訟手続法一五条)。本件のような有責配偶者の離婚請求とかかわらない類型的な事案では、右のような職権探知主義が実現するところと遜色のない審理を担保できると見られる実質的な考量が妥当しないような場合ではない。③ 原告は財産分与については義務者であるが、本件の離婚訴訟手続のなかで財産分与の裁判をすることができるならば当事者双方の負担を軽減し、迅速な裁判を実現することができること、④ さらには、財産分与に関する民法七六八条、家事審判法九条一項乙類五号などに照らしても、原告が本件のような離婚訴訟に付随して財産分与を申し立てることをも禁ずるものではないと解されること、以上の次第であるから、本件においては、原告が義務者ではあるが、離婚訴訟に付随して財産分与の申立てをすることが許されると解する。

しかるとき、原告と被告は、離婚後の春子の療養看護について、一時金として三〇〇万円、同女に対して終生にわたり月金五万円の給付をすることについては合意している。この合意に、春子の代理人としての被告の合意である面を認めたとしても、本訴手続において、裁判所はこれに拘束されるものでないことは、財産分与事件の手続を支配する職権主義のもとではいうまでもない。しかし他方、職権主義のもとでも当事者間の合意に何らの意義を認められないものではない。そこで、本件全証拠にあらわれたところから、右の合意について検討を加えると、まず三〇〇万円の一時金は、二児を抱えていく原告にとり少なくない金額であること、定期給付金は、春子の今後の医療関係費用の大部分は公的扶助により賄われる見込みであること、日常の病院での被服費などの雑費、付添看護関係費、被告の通院費用などの支出については、離婚前からの送金月額と同じ程度の額であり、かつ合理性のある額であること、被告も右内容を相当であると了解していること、その他の諸般の事情にかんがみれば、原告と被告間の右合意は財産分与の制度の本旨および原告と春子の婚姻関係の経過などに照らして合理的な離婚後扶養の内容であると認められる。

したがって、右の合意内容に相応するところを当裁判所の判断として採用することとし、原告が妻春子に対して給付すべき離婚後扶養の意味での財産分与の額および方法は、主文第三、第四項に掲記したところをもって相当であると判断する。

第四結論

よって、原告の被告に対する禁治産者妻春子との離婚請求は理由があるから、これを認容し、親権者の指定、財産分与の額および方法は前記のとおりとし、主文のとおり判決する。

(裁判官稲田龍樹)

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